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「ART FAIR」において「販売」という行為は意識せざるおえない。

作家である自身がつくりだした作品は、我が子のようであり、また身体の一部のようである。

 

その作品を販売するということは、自身の身体を「他者」に委ねる感覚に近しい。

または「身体」を通じた他者との交流というべきかもしれない。

ART FAIRに出展するにあたり、身体を通じてみえる他者との交流を3つの観点から考察し、表現した。

 

この3つの観点は「現在の自身」を対象としている。

そのため時が経てば、また違った表現となるであろう。

【色】

自身の身体を実在する肉体として考察した。

肉体を通じての他者との交流。

これを端的に「肌の触れ合い」に置き換えた。

握手やハグ、性行為など、肌を通じて他者を感じる場面がある。

それはときに情動的な表情をみせるであろう。

肌のみせる生々しさ、艶めかしさ。

肌を通じてみえる表情から、他者の存在を感じたい。

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​色_01 / 色_02 / 色_03 (2021)

【繋】

自身の身体を生物学的観点から考察した。

身体をヒトとして捉え、特徴を明確にしていくと、生殖機能を通じ「他者」が顕在化する。

ここでいう「他者」とは異性や親、そして子である。

女である私にとって、自身の生殖機能によって育む「子」が1番身近な他者となるであろう。

他者との交流を表現するにあたり、この1番身近な存在を題材にしようとした。

しかし私には、「生殖機能を備えた身体」を表現することしかできない。

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繋 (2021)

【華】

自身の身体をみえざるものとして考察した。

 

それは感情や思考、人生や魂などといわれるものである。

これに交わる「他者」とは、客観的な己や自身以外の誰か、社会、神となるであろう。

 

これらの交流を「髪」で表現する。

 

人々は幾度となく自身の「髪」を変容させる。

 

こんな髪型にしたい。

邪魔だから切ってしまおう。

規則に従わなければ。

俗物は剃り落とさなければ。

〇〇のために捧げよう。

 

「髪」の変容には必ず意思が潜んでいる。

そしてその意思は「他者」に向けられている。

この潜在的な「他者」との交流を、一つのモチーフに置き換えてみる。

そして、そのモチーフを鑑賞するだけでなく使用してもらいたい。

鑑賞者はそこに潜んだ「私の意思」を感じることはできるだろうか。

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​華(2021)

【華-再演】

1年で伸びる長さ12cm。

私が生まれて29年。

私の意思に関係なく伸び続け

私の意思によって切られる。

そのため誰も全貌をみたことがない。

私はここに失われた姿を再現してみる。

あなたには私の意思を再現してみてほしい。

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​華-再演(2021)

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